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Dr.K

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Please push on "Non Stop Mix"

MIX SHOWとともにLarry Levan's Paradise Garage The Legend of Dance Music Vol.4(CD)に ライナーノーツと共に掲載された文を紹介します。

伝説のDJ Larry Levanがこの世を去って 早くも14年の月日が流れた。 幸運にも彼を初来日させる事が実現でき、 その後亡くなる迄の3年間、個人的に同じ年齢な事もあり、 友人となれた事を感謝しつつ、 今だから話せるエピソードを交えて 彼の事を紹介させて頂こうと思う。


■ ”LARRY DIED”

忘れもしないLarryが亡くなるその92年の11月。 パラダイスガラージでLarryのパートナーであった デビッドデピーノとクリスマスの(J-Trip Barへの来日) ゲストDJについて打合せをする為に私はNew Yorkに居た。 NYに着いて二日目、確か富家君のNYのアパートに居て、 待ち合わせ場所をきめる為にデピーノに電話したところ、 私の電話に出るや否やこう言っていきなり泣き出した。 “Larry DIED” …それを聞いた瞬間、時が凍り付いた。 僕も一緒に居た富家君、 もちろん電話の向こうのデピーノも皆言葉を無くした…

■ LARRY CAME TO JAPAN !

1990年6月、あのParadise GarageのDJ Larry Levanが 当時私のProduceした東麻布のCLUB Endmaxに OPENING GUEST DJとして初来日した。 87年秋、Dance Musicの聖地として数多くのDance Freakを 熱狂させてきた伝説のクラブParadise Garageのクローズから 既に2年半の歳月が過ぎていた。

■ Frankie Crocker

Paradise Garageはオープンしたのが1976年。 僕は丁度その頃1975年から2年間New York で暮らしていた。 この時期のガラージについては知らないが、 New Yorkの黒人専門FM Station WBLSをリアルタイムで 聞いてきたことでその時期のParadise Garageのサウンドは ある程度推測出来る。 ここでエピソードを続けて行く前に、 Larryを語る上で外せないFMステーションWBLSについて 簡単に触れておこう。

■ “WBLS is ALL the way!”

このWBLSのProducer/DJでありNew Yorkの音楽業界の顔役 としても知られるFrankie Crocker。 後にLarryから聞いたところでは彼とはかなり親しかった ということで、よくFrankie Crockerはガラージにも 顔を出していたと言う事だ。 また80年頃はパラダイスガラージのプレイは 翌週末にはWBLSでオンエアされていたらしい。 当然Larryが好んでプレイしたSalsoul LabelやPrelude Label,  West End Label等の曲はヘビーローテーションとなりNew York を中心にヒットしていった。FM StationとIndies Labelとの関係 がもっとも良かった頃で、このようなIndies Labelの曲が 50%近くオンエアーされていたにもかかわらず WBLSは80年にアメリカのNo.1 Stationとなった。 もちろんWBLSはLarryのフェイバリットステーションで、 “WBLS is all the way (WBLSは最高!)”とLarryはよく言っていた。

■ MY First Paradise Garage

私が滞在していた75〜76年頃、WBLSでピックアップされていた ハウスの原形とも言えるリズムトラックスとストリングス、 それに絡むソウルフルなヴォーカルが印象的なフィリーサウンドや、 ベースのグルーヴ感が(今思い出すと)かなり黒いと思う - ミュンヘンサウンドで あったドナ・サマーの“LOVE TO LOVE YOU BABY”、 Larryのフェイバリットソング、Silver Conventionの”FLY ROBIN FLY”。 そして今回のシリーズである、サルソウルレーベルの サルソウルオーケストラやダブルエクスポージャー等、 当時日本のソウルミュージックファンの間では、 単なるディスコミュージックとして片付けられ、 あまり黒くないと言われていたサウンドが このブラックステーションからヘヴィーローテーションで流れていた。 このステーションを聞いていた当時の私はParadise Garageでも このようなサウンドがプレイされていた事は想像ついていたが、 後に直接Larryのプレイで確認できたのは、 上記の様なディスコサウンドでさえLarryの手に掛かると真っ黒になってしまう事だった。 80年頃に当時私はハーレムの116丁目 とLENOX Ave.のコーナーにあった ハーレムワールドと言うクラブに良く通っていて、 Curtis Blowの“Breaks”やGrand master flashの“Message”等の ヒップホップチューンが中心の選曲の中、 良くプレイされていたのがTanna Gardnerの“Heart Beat”や Instant Funk “I got my mind made up”(共にLarry Levanミックス)であった。 このハーレムワールドを体験した当時の私は、 黒人のクラブの中ではここが一番黒いと思っていた。 しかし82年にハーレムワールドで知り合った黒人の友達に 初めてガラージに連れて行かれた時のショックは強烈な物だった! そのあまりにも凄まじいサウンドは それまで経験したNYの他のクラブでは全く味わった事の無い物だった。 ベースとドラムの重低音が鳴り響くフロアの中では、 ソウルフルなヴォーカル、またMFSBの“Love is the message”や Salsoul Orchestra“Salsoul Rainbow”のような綺麗なストリングスが フューチャーされた曲でさえ何故か真っ黒に聞こえてしまう。 その中で黒人達は汗を飛び散らしハイになり本能丸出しで ひたすら音とセックスしているかのように踊り狂っていた。 今迄自分が黒いと思って行っていたハーレムワールドや 当時人気のミッドタウンのクラブでは ボーイフレンド/ガールフレンドを探すのが主な目的だった(様な) 印象だったのに比べ、パラダイスガラージはまず踊るのが目的。 その中で素敵な”彼”を結果として見つけるといった感が強かった。 Larryはあたかもサウンドでキューピット役をするかのようで (時にはLarry自身が素敵な彼をフロアで見つけて(横取り)すると行った感じ…)

■ DAVID DEPINO

デピーノとの初めての出合いは、 パラダイスガラージでは無く、そのガラージクローズ後のデピーノがレジデントを務めていた ダウンタウンにあったTRACKSと言うクラブであった (今をトキメクDANNY KRIVITとプレイしていた)。 そこでデピーノに”ナンパ”されたのが始まりだった。 “よくガラージに来て無かったか?” よく言うよ全く…。日本での普通のナンパと変わりゃしない。 しかし今ではデピーノは私の”心の友”で、ニューヨークに私が行く時や、彼が来日した際には必ず会っている。 彼はゲストDJとしてENDMAXで3回もプレイしてくれ、そのうちの一つはENDMAXのクロージングパーティであった。 デピーノはゲイムービーに出てしまう程のゲイクイーン。 ガラージに来ている黒人のハードゲイに受けるBITCH SOUNDでオーディエンスに人気で、Larryとの相性は最高だったと思う。 そのデピーノが私をLarryに紹介してくれ、その事がLarryをENDMAXに呼ぶ夢を現実化してくれた。

■ ENDMAX

さて、そこでLarryのプレイだが エンドマックスで90年と91年に私が呼んだ計8回のプレイと、92年にフランソワとともに来日した (今や伝説となっている)ハーモニーツアー等でずっとDJブースのLarryの横に付きっきりで彼のプレイの仕方を見せてもらった。 その間にParadise Garageでの”LARRY’S MAGIC”の秘密に触れる事ができた。 彼のDJの何処が他のDJと最も違う所かと言うと、曲の展開で一晩のストーリー (ちなみにParadise Garageでは週二回10時間以上のセットをこなしていたと言う事だ)を作り上げると言う所である。 彼の創り出す真っ黒でSEXYなグルーヴ感は時には「いい加減さ」さえも兼ね備え (キモチいい事をし過ぎたせい?)、きれいにミックスすると言う事はそれほど意識していないようだった。 (逆にそれが彼の魅力なのだが…)。 彼はひとたびその場の雰囲気からインスパイヤ−された曲があれば、 その曲のみを使い20分でも30分でも即興のLarryミックスで新たなグルーヴを生み出していた。 彼は”HOUSEY”という言葉が好きで、それは前述のように音楽に彼の魂を添えてフロアに贈り出す事である。 Larryは楽曲をよりエキサイティングによりエモーショナルに聞かせてくれた。

■ LARRY’S MAGIC !

NYでLarryと会って彼からもらったリクエストは、現在は入手困難なUREI1620の ハウスミキサーを絶対用意すること。プレイヤーを3台用意(3台目はサウンドエフェクト用に)して欲しいという2点のみであった。 [ちなみにUREIのミキサーではPLAYER端子は2つしか無いのでフォノイコライザーを追加した (キャナルストリートにあったASTと言う電器屋で何とUREIミキサーは当時1000ドル以下で買えた)。] 今でこそハウスミュージックを追求しているクラブではUREIをセットしているが、当時はまだどのクラブにもUREIは導入されていなかったと思う。 それから今で言うグライコ、アイソレーターの原形であるRANEのクロスオーヴァ−ネットワークと 低音をブーストさせてもサウンドがハウリングしないようにターンテーブルをラックから浮かせる フローティングラック (ちなみにLarryが自分で作ったと言っていたがちょっと怪しい(笑))も持参して来た。 これらの機材を使い、曲に合わせてLarryは自由自在に音をあやつった。 低音をガンガンに引き出したり、そうかとおもうと突然低音をカットしてシャリシャリにしたり、 よりヴォーカルがエキサイティングに聞こえるように、ヴォーカルの周波数部分だけ上げ下げしてみたり、 パンポットで音を左右に飛ばしまくったり、ヴォリュ−ムで音を揺さぶったり… と隣で観ていると、実に凄まじいばかりのテクニックを駆使していて、彼のプレイで曲が全く別の曲に生まれ変わっていった。 彼は一曲としてプレイ中にEQが一定であった事は無かった。 彼は十本の指でフォノイコライザーのダイヤルとUREIのミキサーを同時に使い、 まさにマジシャンの指さばきのようであった。まさに、十本の指を通して彼の感性を注ぎ込んでいるかの様であった。 そのDJを真似たかどうかは判らないが、 以降やたらEQをいじるDJが数多くいるが、 私としては音楽をぶちこわしているとしか思えない。 そういったDJ達とLarryのEQの使い方とは全く別のものだと断言したい。 なぜならLarryのEQの使い方のポリシーは彼とも話したが楽曲自身の持つ良さをより引き出す事である。 レコードではちょっとしか聞こえない”良い”部分を見つけて引き出してしまう感性。 そして、より刺激的に、時にはゴージャス、また、時にはセンティメンタルにしてしまう彼の才能は天才的であった。 Larry曰く”EQは音楽をより良く出す為のものであって、より心地良いグルーヴを創り出す為の道具に過ぎない。” Larryは常にオーディエンスの事を大事にしていた。オーディエンスの数によって刻々変わる フロアのサウンドチェックをする為に時々DJブースから出て行き ダンスフロアのまん中で難しい顔をして音をよく確かめてもいた。(ポーズも多分に有ると思うが…(笑)) 特にLarry好みの客を見つけた時は、その彼がいかにしたら気持ち良くなってくれるかを意識し、 よりインパクトのある音で彼に(自分の気持ちを)気付いてもらう為にあらゆる”音の口説き文句”を これでもかとスピーカーを通じて伝える、という一つのゲームを楽しんでいた事もあった。

■ MESSAGE

彼の選曲によるメッセージで特に思い出すのは、日本滞在最終日に私本人に向けてのもので、 ”Don't leave me this way”/ Teddy Pendergrassをかけた時の事だ。 彼は本当に日本が大好きになった様で、しきりにもっと日本に居たいと私に訴えていた。 私はそれまで”もう明日飛行機のチケットが予約してあるから”と軽く突っぱねていた。 彼は子供のようにむくれていたが、最終日のラストナンバーとしてこの曲をかけ、私に向かってウインクをした。 …私は滞在を一日程 延ばしてあげて、翌日は秘密のパーティになったのは言う迄も無い。 歌詞を非常に大切にするLarryのプレイは既に有名であるが、彼は純粋にDJによって 創り出すサウンドの素晴しさだけで(英語のわからない日本人客でさえ)全ての客のマインドレベルを一体化させていた。 それを私は彼のプレイを目の当たりにして体験した。 彼はプレイ中にはジャックダニエルの水割りをチビチビと飲みながら、例のホワイトラインも…

■ Sound System

パラダイスガラージのサウンドシステムは確かに素晴しかったが、Larry Levanと言う存在の上に成り立っていたと思う。 エンドマックスのサウンドシステムはParadise Garageより遥かに劣っていた。 しかし彼はDJプレイの5時間前に全てのオーディオ機器のチェック/サウンドチェックを済ませ、 エンドマックスのシステムを把握し、この店の特性に合わせてプレイし、何人ものオーディエンスから ”今日はいつもより音が良いね。”と言わせた。 どんな優れたシステムでも生かすか殺すかはDJ次第である事をLarryによって実感させられた。 思い出したが、”コヤマ、ここのアンプルームは何処にあるんだ?” Larryが来日DJの初日に私に尋ねた。私はブースの下を指差した。 彼はおもむろに中に入り、一分もしないうちに涼しい顔をしてそこから出て来た。 その後、Larryのセットしたチューニングに興味があって見に行ったのだが、 すべてダイヤルの数字が10を射していた (グライコのEQは全てMAXにし、さらに20台全てのパワーアンプのメインヴォリュ−ムを最大にしただけであった。) おかしかったのは、かなり有名な日本人のメディア美学の大学教授とオーディオメーカーが 丸々一日かけて細かく調整したトータルEQセッティングはLarryのお気に召さなかったらしい…(苦笑)。

■ Super Star

Larryはファッションにも異常にこだわる人間で、日本人デザイナーが好きだった。 特にマイルスデイヴィスのステージ衣装を手掛けた事で有名なコーシン・サト−が大好きで、 日本にいる時は随分彼のオフィスに行くのに付き合わされ、平気でワンナイト分のギャラを服に費やしてしまう。 その他にもヨウジヤマモト、イッセイミヤケが大好きで。よく彼等のデパートのコーナーにも付き合わされた。(コノ辺はさすが女まるだし!) エンドマックスの初日、彼はステージ衣装の様なスーツの着替えに3時間以上かけていた、 (多分キモチ良い事もしていたのだろう…(苦笑))しかも3時間待たせた上に ”コヤマ、ちょっと忘れ物をした” といってホテルに引き返した、ホテルのロビーにさしてあったバラの花を2本ちぎって、 そのうちの一輪を胸元にさして鏡を見ながら”イッツ クール”とかなんとかつぶやきながら鏡に映った自分を眺めていた。 残りの一つを私にわたしておもむろに”レッツゴー”といった。かなりのナルシストぶりである。 また、Larryは結構花が好きらしく(この辺も女)よくファンから花を貰うのだが 先ずする事は花の香りを嗅ぐ事で良い匂いだとDJブースにキープして持って帰る。 あまりお気に召さない香りだとそのまま放って忘れていた。 Larryはある日、私のLarry好きの友人が店長をやっているヨドバシカメラにDATコンポを買いに行った時の事、 たまたまその友人は居なかったが、義理堅いLarryは彼に電話をしようと言い出した。 普通はいないとそこであきらめるものだが…電話をした事でその店長も大感激してしまい DATテープとかカセットをお土産で沢山貰い子供のように喜んでいた。 こんな逸話があるものでも、重たいからと日本を立つ時に全て置いて行ってしまった程、物質的所有欲がLarryは全く無い人である(!)。 何十年もDJをやっている人なので当然膨大な数のレコードを持っていると思っていたがコレクションは一枚も無いと言っていた。 何か欲しいレコードでもあるのかと尋ねたら、”サルソウルオーケストラのデヴュ−アルバムを持っているのか?” と言うのでプレゼントした。それでその夜の一曲目にサルソウルレインボウをLarryはおもむろに私に向けウインクをしながらプレイしてくれたが、 さてそのレコードも何処へ行ったのやら… またLarryは凄くお年寄りを大切にする人だった。日常、ホテルとかで年輩の方がいると先に通してあげたり、 席を譲ってあげたりしていたのが印象的で、私の自宅にも滞在中遊びに来た際に母を紹介したのだが、その後Larryとあう度に ”コヤマのビッグママは元気なのか?” と必ず聞いてきた。(母を大切にする(時には恐れる(笑))この辺は典型的黒人かな?) その他にもLarryの想い出は沢山あるのだがとてもここでは書き切れ無いが、 一言で言うとLarryはジミヘンドリクス、ミックジャガー等と共通するカリスマ性を持った大スターだったと思う。 さてこの辺で簡単にVOL.4の曲について触れておこう。 一曲目はLOLETTA Hollowayの“Hit and Run“ Harris MachineことNorman Harrisによるイントロのカウントから始まるゾクゾクする程ココチイイグルーヴを持ったSALSOUL ORCHESTRAの演奏にLOLLETTAのアドリヴいっぱいのソウルフルなフェイク&シャウトが最高! 二曲目はEW&Fの大ヒットGET WAYのカヴァーでSALSOUL ORCHESTRAの演奏はさすが!全員ジャズミュージシャンの実力派だけにハイクオリティな演奏が冴える。EW&Fと、どちらが良いか悪いかと言う問題では無く、SALSOUL ORCHESTRAのこのヴァ−ジョンの方がガラージっぽいと判るあなたはひょっとしてゲイ? 三曲目はLARRY LEVAN MIXのLOGGによる“I KNOW YOU WILL”。LEROY BURGESSのもろにNYっぽいアレンジがナイス! 四曲目はNYをベースに50年代から活躍するKing of percussionist, CANDIDOの 洗練されたFUNKY でJazzyなグルーヴが 心地イイ。三曲目やこの曲のように一見地味っぽい曲がガラージでは何気にプレイされていた。 五曲目は再びSALSOUL ORCHESTRAによる”SPRING RAIN” でお馴染みのSILVETTY作の”Sun After The Rain”。 ちょっと可愛らしく爽やかなナンバー。きっとLarryはこう言った曲をさり気なく雨上がりのSaturday Nightにプレイしていたと思う。 六曲目は“LET NO MAN PUT ASUNDER”“LOVE THANG”“DOCTOR LOVE”等のガラージヒットを持つFirst Choiceによる 典型的な70’sフィリーサウンド。きっとLarryはこの曲のポジティヴな歌詞が好きだったはず。ラリーがプレイするこの曲を聞いて、いったいどれだけの人がガラージで明るい気持ちにさせられたことだろう。Last Night DJ Larry Levan Saved My Life? 七曲目はSparkleによる“Handsome Man“タイトル通りゲイ好みの曲。ちょっとトリッキーでお下品なキーボードが変態してて良い。オリジナルはLarry Levan Mix。なお11曲目にもボーナストラックとしてよりラフなLarryによる未発表ミックスも収録。よっぽどLarryはこの曲に惚れ込んでいたのだろう…。 八曲目の“Body Shine”もLarry Levan Mix。“I Got My Mind Made Up part 2”とでも言えそうなInstant Funkのドス黒くSexyなガラージチューン。ガラージのサウンドシステムで聞いたら間違い無くノックアウト! 九曲目はSALSOULレーベル初の12インチシングルとなった記念すべきWalter Gibbons Mixによる大ヒットナンバー“Ten Percent”。 76年当時NYのWBLSでは一日に何十回となくかかっていたのを良く覚えている。ハイレベルな演奏と、ソウルフルなヴォーカルは文句の付け所の無い永遠のガラージクラシック、そしてマイフェイバリットソング! 十曲目はTom Moulton によるLove Committeeの“Law and Order”。 典型的な70‘s フィリーグルーヴを持ったナンバー。 個人的にも大好きな曲で、私も当時良くDJでプレイしていた。NYにはこういう曲が本当によく似合う。 このCDを聞いて頂いて、少しでもParadise GarageとLarryのスピリッツに触れてもらえたら、 きっと天国のLarryも喜んでくれるだろう。 Life Is Something Special, Peace!






Unity Records Dr.Koyama edited by Khadji

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